Webディレクターとして「茹でガエル現象」に陥らない事の重要性
2013年10月31日
昨日は、ある意味恩師でもあり、多大にお世話になっている方と酒席。
その中で我ながらハッとしたことがありました。
- 「人間慣れてくると、現状維持、もしくは易きに流れていく。」
ということです。
人間っていうのは、ある一時期シャカリキになって我武者羅に頑張っている状態から、ふと「ある程度安定した状態」というのを感じてしまうと、いつの間にか少しずつ、当人は気づかないようなレベルで少しずつ、ほんとに少しずつ自分自身への厳しさ、危機感がなくなっていきがちです。
それが引き起こすのは、
- 「茹でガエル現象」
を引き起こすことになるわけです。
茹でガエル現象?
茹でガエル(ゆでガエル)、茹でガエル現象(ゆでガエルげんしょう)、茹でガエルの法則(ゆでガエルのほうそく)とは、ビジネス環境の変化に対応する事の重要性、困難性を指摘するために用いられる警句のひとつ。
多くのコンサルタントや活動家などによって[1][2]、自然科学上の実験結果であるかのように語られているが、実際には、カエルは温度が上がるほど激しく逃げようとするため[2][3]疑似科学的な作り話[4]が広まったものである。
wikipedia:「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B9%E3%81%A7%E3%82%AC%E3%82%A8%E3%83%AB">茹でガエルの法則</a>」より
茹でガエル現象のもっと怖いこと。
これの性質の悪いのは、なかなか自分では気づけないことです。
そして次に、その事、つまり
- 「以前は頑張っていたのに、最近たるんでない?」
といったことを他者から指摘されることで「反発心」が出る上に、一旦その安定の状態になれてしまうと「元のところに戻る」のがむちゃくちゃ大変だということ。
「反発心」が芽生えるのは簡単で、人間誰しも今の「楽な方」に居続けたい気持ちが絶対勝るので、他者からそういった指摘を受けると、なんとか理由をつけて、その変化を与える状況を潰そうとしてしまうからです。
あれだけやったんだし、ちょっとぐらい・・・という心
かくいう僕もWebディレクションをしている中で、「易きに流れたい」と思う気持ちはしょっちゅうあります。
実際に易き流れてしまって、そういったディレクションをしてしまうこともないと言えません。
だって、それまでもうホントに我武者羅に頑張ってきた(つもり)からです。
どこかで少しぐらい「休みたい」と思う心は普通にあると思いますし、それが出てくる事自体は恥ずべきことではないと思います。
だって人間だもの。
でも、恐らくこの気持ちに従い「易きに流れた」最終的なWebディレクターとしての行き先は、端的に言えば「破滅」です。
何かを必ずなくしてしまうことにつながるはずです。
失うもの、それは例えば、
- 自分へ寄せられる信頼
- 他社から期待されること
- 仕事
- 金銭
そういった、いわゆる社会活動におけるかなり大きなものを失うことになると思います。
そこに気づけないからこそ「茹でガエル現象」は怖い訳です。
モノを作る人間が「ちょっとこれぐらい・・・」という気持ちに負けないためには、「まだ足りたい」「もうちょっと良くするには」「次があるのだから少しでも早く」と、常に自分を叱咤激励をし続けられる能力が極めて重要になってくることでしょう。
自分を奮い立たせ、他者からの苦言を甘言のごとく聞ける姿勢と耳を持つ
Webディレクションという仕事をしていく上で「ここがゴール」「ここでいい」というのは恐らくありません。
プロジェクト単体においては「リソース」「スケジュール」「コスト」というものの中で行われるものの、「仕事」という観点でみれば「もっと上」「次こそは」という事があるからこそ、人類は発展してきたのだと思いますし、事業においては継続した仕事につながるのだと思います。
また何かが終わっても、そのペースを継続出来るだけの力を持っていなければ、いつかは「切られてしまう」のだとも思います。
とすると、そういった苦言をいってくれる方こそ、自分にとって最も重要にするべきで、そういった苦言を言われた時にそれを受け止められる力というのを再確認しました。
そして自分がいま携わっている色々なことが、
- あそこまでやってたしちょっとぐらいいいよね。
- あいつはあんだけやってたし・・・まぁ、今回は許しておくか。
- そこまでやり続けるのも、もう歳も歳だしさ・・・。
というような観点になっていないか今一度自分のWebディレクションを考えなおして、帯をしめなおしていきたいと思います。