生成AI時代になった今、何を信じるのか?
2024年12月10日
生成AI時代になりました。これからこれが発展することはあっても、衰退することはありえないでしょう。
これを書いている2024年12月10日、OpenAIから動画生成の「Sora」について一般提供開始というニュースがでてきました。
OpenAIの動画生成AI「Sora」、ついに一般提供開始 「ChatGPT」課金ユーザーなら追加負担なし
ITmedia NEWS
米OpenAIは12月9日(現地時間)、動画生成AI「Sora」を同日から提供すると発表した。
生成AIがでてきて、色々楽しいと思える方が強いので不安はあまりないのですが、「画像生成」「動画生成」について思う所がありました。
今後、リアル以外に見ている画像、映像をどう判断するのか?
2024年12月時点の話ではなくて、ここから1年でもすれば、生成AIが作る画像も映像も、恐らく現実と差がなくなるはずです。それ自体はもう時代の流れなので、いいと思います。
そもそも今の時点でも、画像も映像もPhotoshop加工、CG加工などは当たり前で「何が現実なのか?」あやふやなところもあります。
しかし、少し前までは「その加工の作業」がまだ誰でもできるものではなかったので、「公園の写真」といったスナップ写真や、YouTuberさんの動画は「リアルを切り取ったもの」感がありましたし、見ている人もそこは「リアルと切り取ったもの」と思っていると思います。
しかしあと1年も経てば、先程書いたように「これはリアルなのか生成AI作成なのか」が分からなくなってくるでしょう。その時、人はどう感じるのか?ということです。
「嫌悪感」を抱くのか、「受け入れる」のか。世代間での受け入れ方の違いが取り沙汰される気もします。柔軟な世代は「まぁ、そんなものだよね」となると思います。
しかし、「リアルの切り取り」だったことに価値もあったはずです。それが全て今のCGの様に、「リアルだけど、作り物」となった時、人は何に価値を感じるようになるのか?
最終的に人は「リアルでの接点」に価値を感じるように回帰するのか?
デジタルで見える画像、映像が全て「どうせAIで作られたものだよね」が意識しない根底に刷り込まれるようになった時、人が見ているものは「純粋な情報」であって、今ならば感られる「生きている躍動感」や「自然の脅威」といったものは一切感じなくなるのではないでしょうか。
そうなると、実は世界は狭まって、「自分が実際に見たものだけが信じられ、価値がある」となるのか?
Google Mapがでた当時、「あたかも世界旅行をしているようだ」という表現がありました。しかし、それはリアルを元にしたテクスチャーマッピングの情報だったからです。これが全て「リアルを元素材して、生成AIが作った」ものとなったら、そこに人は感動をするのか?
やはり「旅行は人が足を使って、自分の目で見てこそ」となるのではないか?そうなると、インターネットで広がった世界は1990年代初頭までのように「自分が動ける範囲」にしか価値が生まれない(生まれづらい)世界に逆戻りするのではないか?
インターネットで見るものは、リアルではあるけど、「絵本の世界」の様に感じるのではないか?
といったことをモヤモヤ最近考えています。僕はずっとネットを生業にしてきているので、便利になることには抵抗はありません。ただやはり「人の情感」に訴えるものを作っていきたいとは思っています。
そうなると「人の心が何で動く時代になるのか?」は、モヤモヤと悩みますし、それを悩める時代の狭間にいることはとても楽しいです。