仕事の雑感

正しい努力を行うには練習の前の行動が重要だった


Twitterで「努力」というものを考えさせられる動画が流れてきました。
Twitterでは埋め込まれていた動画ですが、大元はかの日本の著作家・経営コンサルタントとして有名な「山口 周」さんがゲストで出ている「Rethink JAPAN」の対談動画の「30分27秒」からの部分です。


この動画全体はぜひ見てもらいたいのですが、その中でも「正しい努力」についてTwitterに長文投稿したのを編集してみました。

▼目次

正しい努力とは結果が出るための努力

「努力の質」ってのがあって、どういった方法ややり方に力を注ぐかは本当に大事だと思います。
動画中で山口さんが紹介する「島田紳助さんの授業」は、こちらのDVDに入っています。(動画中で山口さんはYoutubeで・・って仰っていますが、多分本家がアップロードしているものではないと思うので)

「紳竜の研究 [DVD]」


紳竜の研究 [DVD]

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紳助さんによる「吉本のこれからの芸人さん」へ向けた特別授業なのですが、そこで語られている考え方と手段が凄いです。
話の内容は、当然そのまま聞けば「芸人さん向け」の話ですが、話題の中身を自分の仕事に置き換えると、そのまま多くのことが当てはまるのが分かります。

ただ僕はあの授業ですら、紳助さんは本当の本当に大事なことは言っていない気がしています…

話しを戻して、紳助さんの動画を見れば分かるのですが、「正しい努力とは何か?」というのを考えさせられます。

誰しも「結果がでる」努力をしたいと考えているでしょう。
そして、今の自分が実践している努力は「結果が出る」と思ってやっています。

しかしながら実際に「結果が出るか?」は「やってみないと分からない」のが多くの場合だと思います。

ただ島田紳助さんが授業で言っていることから改めて考えると、その「方法」を見つける前提が違っている気がしています。

手足を動かす努力の前の行動が必要

紳助さんは、一般的に「努力しています」という『行動』の前にやっていることがすごいんです。それができる事自体が「才能だ」とか「それがすでに努力だ」という話でぶった切ってしまうと、何も進まない言い訳をしているだけなので、それは控えます。

ただ、一般的に「努力」とは、次のような「行動量」を指してしまうことが多いと思います。

  • 飛び込み営業をする数を増やす
  • 企画のアイデアをたくさん出す
  • 電話をとにかくたくさんする
  • 素振りや走り込みなどの練習をたくさんする

これらは間違えてはいないのですが、その行動が「具体的に何を解決するためのものか?を自分が分かっているか?」が抜けていたりする場合がないでしょうか?

逆算をすると、実際に手足を動かす前に行う分析が重要と気が付きます。

紳助さんは、まず大事なのは目的がはっきりしていることです。
それは芸人として有名になることでも、自分のやりたい漫才をやることでもなく、『売れて生き残る」こと(と思います)。

それが達成できるならば、極論、それ以外はすべて「手段」と考えているとすら思われます。

単一でシンプルで迷わない目標を持てるか?

紳助さんは目標を達成する上で、「とは言っても、○○な努力はやりたいやりたくない」は考えていません。ゼロではないはずですが、目標を達成しなければ意味がないと、ちゃんと割り切れてる。

何より自分にとって「達成したい」目標というか目的がはっきりしている。
当たり前に聞こえますが、多くの場合「これを達成したい。とはいえ、あれも出来れば達成したいし、達成するにしてもアレはやりたくない」みたいなものが見え隠れします。

それが「これを達成するなら他は何でもいい」という所まで昇華できている。これが何より強い。極論は泥水すする覚悟がある。
ただ、紳助さんは目標達成のために、無意味にダサい方法はやらない。やっていることが他人からみて「カッコ悪い」「それはあかんやろ」も全部計算をしている。

これは紳助さんが他の番組でも良く、『島田紳助・松本竜介』のスタイルを決めるエピソードが最たるものだと思う。

吉本の同期である「さんま」のあの明るさから来るものは俺にはない。
もう一人の同期である「(オール阪神巨人の)巨人」は入門した時から王道の漫才がめちゃくちゃ上手くて、アレにも絶対勝てる気がしない。
だから俺は邪道に行くしかなかった。

上記は意訳ですが、この様に言っていました。
これは「売れるためには」という前提がある。売れる為には「やりたい漫才」でもなく、単に「売れそうな漫才」だけでもなく、「同期を含めて差別化して勝てる漫才」ということだ。

漫才も当然ながら芸能の世界です。
僕も芸能の世界にいたので、少なからず感じるのが、多くの場合、自分の『我執』からくる「こうありたい」や「こうしたい」というのがあります。そして特に芸能の世界に入ろうと考えた時から入った直後はこれが強く出ると思います。
それは自分もあの人のようなってみたい、やってみたいという「憧れ」なりが源泉になっているからです。(だからこそアイドルは『偶像』という言葉からきているはずなので)

しかしそれは「目的」と「手段」がごっちゃになっている状態とも言えます。
今にして思えば僕が役者として生き残れなかったのはこの部分だというのがはっきり分かります。

しかし当時は全くそれが分からなかった。
養成所で出される課題、現場の台本を「自分の考える『頑張って』やっていれば」上手くいくと信じていました。

表現者は当然ロボットではないのでこのエゴといえる部分はアイデンティティでもあり大事だとは思うのですが、生き残れなければ何もできないのもまた事実です。

要はそのバランスを無意識でも意識的でも取れる人が、生き残れる人であり、紳助さんは「意識的」にそれをやっていて、やっていたことを口頭で説明ができる訳です。 そして前述の僕の「頑張って」は、正に「間違った努力」になっていた訳です。

目標がはっきりしているから「分析手法」を作れる

「努力の方法を見つける」話に戻って、「売れるために」という目標がハッキリしたら、次は現場分析。
ですが、これも「何をするか?」がはっきりしているから分かることであって、「分析をすればいいのか」から始まるのはやはり「間違った努力」になると言えると思います。

紳助さんは自分の目標がはっきりしているからこそ、その時点の「漫才の分析」を行います。

今の漫才が、

  • 売れてる漫才は何か?
  • どれぐらいの尺か
  • 何回ツッコミとボケがあるか?

などなど……(詳しくは動画を探してみてください)

それが分からないと、今の流行り廃り、他者との差別化、目指すべき勝ち筋が分からず、結果本来は「何の努力をしたらいいのか分からない」状態になる、ということだと思います。

紳助さんの授業動画を見た時、「では、それと同じ行動を当時の自分はしてただろうか?」考えました。

結果として紳竜の漫才は「どういったスタイルの漫才」にするかが決まり、その結果として「台本」や「衣装」が決まり、それを実現・体現するための「練習方法」が決まってくる訳です。

具体的な「努力の方法」は分析の結果、初めて分かる

多くの場合、最後の「練習方法」から入っていないだろうか?
しかもそれは「どこかで誰かがやった、確からしいもの」だったりしないだろうか?
もしくは「何かに書いてあった練習方法を盲目的に再現」することに腐心していないだろうか?

紳助さんの授業の中では元阪神タイガースの伝説のバッターの「掛布 雅之」さんの話題が出ている。

バットを毎晩500回振ってたから、いい打者になれた訳ではない。
そんなのはプロになったら誰でも当たり前にやっている。
そしてバットを500回振るのを何も考えずやってたら、それはただの『筋トレ』でしかなくて、筋肉が大きくなるだけで意味はない。
一振り毎に「実際のバッターボックスで、どういった状況にいるか」を考えて振るから本番で実際に再現することができる。

というものです。(これも意訳です)

紳助さんと松本竜介さんの漫才コンビ「島田紳助・松本竜介」は結果として「練習をしない」という方法に至っている。
「練習をしすぎない」という方法を見つけ出したと言える。
もちろんそれには、相方が松本竜介さんになるまでの紆余曲折もあり、相方が竜介さんだからこそ出来た、と紳助さんは仰っている。

「芸能の世界では練習は重要だ」というのは半ば常識で、それを疑う人も殆どいないでしょう。
しかし、こと「紳竜の漫才」というものにおいては当てはまらないと判断している。

もちろんこれも結果論、とはいくらでも言えます。
「紳竜」の漫才がもし当たっていなかったら、何をいっても言い訳になるし、「ほら、練習しなかったからだよ」と言われていたと思います。

しかしここで大事なのはそれではありません。
「世の中の成功の方法論の多くは、その人自身のためにゴリゴリにカスタマイズされたもの」であるということです。

つまり、一般的に「努力」と思われている「具体的な行動」は、「自分で『自分が成長できる』ための方法を見つけなければならない」ということです。

時代の変化によって「同じ努力の方法」は永続しないことを知る

紳助さんの授業の話の中ですごいと思う次のエピソードは、島田紳助さんが「紳助・竜介」を解散を決めた話です。

NGK一期生に講師に行った時の、同じく講師にさんまさんと巨人さんが別々に行き、後日三人で「一組だけ(すごいのが)おるな…」と言ったのが全員一致でダウンタウンだった。

そして紳助さんは「ダウンタウン」にこう聞きました。

「自分ら、そのスタイルで行けると思ってるん?」
(これは関西弁でいう「本当に行けると考えるの?」という問いかけであって、上から目線的な話ではありません)

ダウンタ ウンのお二人はこの問いかけに「行けると思ってます」と答えたそうです。

紳助さんはダウンタウンがデビューした後の本番を舞台の袖で見た時、そのスタイルがお客さんに受けていたことから、

「あ、紳竜の漫才は終わった。これでもう引退や…」

と感じ、すぐに引退届を出しに行ったという…
(この時の竜介さんへ引退の話をする時のエピソードはお二人の関係性が良く出ていて聞いてて涙出そうになります)

自分自身が考え抜いて作り上げてきた邪道漫才と練習をしすぎず、舞台では紳助さんのマシンガントーク、さらには当日絶対であった「正月番組での正装」すらしないというスタイルで一世を風靡し、人気絶頂の時に引退を決断した訳です。

この話は「松本紳助」という番組の中でも、紳助さんはダウンタウンの松本さんに直接言っていていました。

「紳竜はダウンタウンをみて引退したんや」と。

これは自分たちのスキルと方法をものすごく冷静に判断ができているからこそだと思う。

「勝ち目」がない以上、そこに固執をしない。
「生き残る」ということが何より重要だと考えているからこそ、

「これまでの話芸・話術を元にして、次に生き残る場所を改めて見つける」

というシフトをした訳です。

これは今までのやってきた道を否定もしていないし、捨ててもいない。
自分の持ってるスキルを「どう時代の変化に合わせて使うか?」という考えた結果だと思います。

これは僕が最近、今のAIがどかどか出てきている時代に、今までの自分たちの仕事の変化にどう合わせ、何のスキルを使って、何を変化させていくべきか?と考えている源泉になっています。

”間違った努力”をする日本人 本当に必要な努とは?

冒頭の山口 周さんの動画で語られているのはこれらの事だと思います。
その動画でも語られていた「”間違った努力”をする日本人 本当に必要な努とは?」は、ビジネスパーソンにとってとても大きな問題だと思います。

ビジネスに関わる人だけではなく、生きていればほぼ全員に当てはまるのではないでしょうか?

特に日本人はアイデンティティに「勤勉」というもの文化背景を持ち、それを「美徳」として育ちます。
それは「誰かに言われた行動を、脇目も振らずコツコツと続けていければ報われるし、その一連の行動が重要である」といっても良いかも知れません。

それ自体は僕も嫌いではないのですが、それはきっと日本人が日本国内だけを相手に仕事をしていた時に通じたものなのではないでしょうか?

動画の中で、

最近の若い方は『頑張るトレーニング』が出来ていない

という話題があります。

日本は「”ゆるゆる”のガラパゴス」であると言われており、生産性は知的水準だけではなく、欧米でもライフワークバランス・ライフワークインテグレーションを実現している人は「頑張る能力✕知的水準」の賜物であると語られています。

「頑張るのってカッコ悪いよね」という価値観もいずれ変わる

日本人の中には、

  • 努力している姿を人に見せるのは格好が悪い
  • 努力している姿を見せるのは承認欲求だ

という様な感情があり、それの到達点として現在「頑張る必要はない」というトレンドになっている気がしています。

僕個人だけで言えばそのトレンドが続いてくれるのは嬉しいです。なぜなら結果として、もう48際にもなる僕の優位性が維持される期間が伸びるからです。

しかし、日本全体でいえばそんな事は言ってられません。
むしろ「今の時代、人より頑張れば、黙ってても競争優位性を持てるのに何故やらないのか?」とすら思っています。

また、何かしらの到達点や世情の変化によって「頑張らない人は悪だ」という事態になる可能性も十分にあります。

その一つの例は「ゆとり教育」です。
あれだけ日本の小中学生を「良くしよう」と思って進められた教育方針を、国はある時点で「ゆとり教育の方針、あれ、全部ナシ!」とひっくり返した訳です。 いわゆる「ゆとり教育」世代の方は本当に可愛そうだと思います。

しかし、今考えれば資本主義とまで言わずとも、社会に出たときのことを考えれば、「競争をさせない」という中で、活躍できる力が身につくはずがないのは分かる話です。(当然、この話は分母が日本全体の小中学生であり、更に「集団教育」という手法において、社会に出て高い生産性を生み出せる人を、確率論的に最大化する、というのが前提で、個々人の話ではないです。)

かと言って今の日本の教育が「完璧」だとも別に思っていません。

話の本題としたいのは、価値観が変わった時に、今「頑張るのはカッコ悪い」という前提で活動をしている人は「頑張れる」のか?ということです。

先程、動画の中で語られていた言葉の「頑張るトレーニングができてない」というのを挙げました。
そう、頑張るにも「トレーニング」が必要なんです。

意識を変えただけで明日からフルマックスで頑張れる訳ではないのです。
そして、頑張る上で重要なのは「正しい方法で努力する」ことです。

これこそれが「頑張る能力✕(正しい努力の方法を見つけられる)知的水準」ということではないでしょうか?

努力の仕方を正しく考える重要性は、冒頭のRethinkの山口 周さんの動画、そして紳助さんの動画には本当に詰まっていると思うのでぜひみてもらいたいです。

そして生き残る上で「頑張るトレーニング」について一考してもらいたいと思っています。


名村晋治のプロフィール

Webディレクター 名村晋治

株式会社サービシンク

代表取締役 / テクニカルディレクター

名村晋治

1996年よりWeb制作に携わり、キャリア28年目のWebディレクター

2010年に不動産業界特化のWeb制作会社「サービシンク」を設立して、今も現場でディレクターとしてPMをしています。

詳しいプロフィール

大学在学中の1996年「Web制作集団ネイムヴィレッジ」を設立し100社を超えるサイト制作の企画、ディレクション、デザイン、マークアップ、システム開発に携わる。

2000年不動産検索サイトHOME'Sを運営している株式会社LIFULL(旧:ネクスト)に合流。
2005年からは都内のWeb制作会社に合流し取締役を歴任。同社ではフロント実装からディレクションまでを担当。

2010年東京のWeb制作会社・ホームページ制作会社、株式会社サービシンクを立ち上げる。 不動産業界に特化したサイト制作の、アートディレクション~HTML実装設計~システム設計のすべてに携わるジェネラリスト。基軸としてはクライアントの商売に寄り添う為に、徹底的に思考を巡らせる為のディレクションを行う。

Webブランディングの入門教科書」、「変革期のウェブ」を「マイナビ出版」から出版。

2000年から「Webディレクター育成講座」を独自開催し、40時間のカリキュラムを通し「仕事を回す事ができる」Webディレクター育成手法には定評があり。
首都圏のみならず地方でも講座実施、参加者は延べ700人を超える。 もう一つのキャリアとしてプロとして舞台俳優、声優。 1996年から養成所に通い始め2004年に廃業するまでの間はWebディレクターと二足のわらじでの活動。

俳優としては、東京の小劇場でシェイクスピアやマリヴォーといった古典を中心に舞台に出演、また声優としては大きく活躍できる程ではありませんでしたが、NHK海外ドラマや、洋画等、ゲームでの声優を行っていました。

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