Webサイトにおいて「コンテンツ」をいかに伝えるか?を考えたライティングの必要性
2005年07月24日
昨日の「Hタグなどを随所に織り込む、というテクニックな「SEO」に疑問を感じる?」で結局言いたい事は、このエントリーのことだったりします。
HTMLという言語は、そもそもは「文章の論理構造」を示す事である
というのは、HTMLという言語は、そもそもは「文章の論理構造」を示す事から始まり、それが今のWebの始まりになっています。
にも関わらず、大きな流れという歴史ではテーブルレイアウトの時代の影響が強いと思うのですが「コンテンツそのものの内容を考える」という事にまだまだ無頓着なんだと思います。
紙屋さんの場合には、編集さんもいて、輪転機を実際に回す人、もちろんデザイナもディレクタもいて、そもそもライターという職域が存在している。
でもWebディレクションに関わるWebディレクターはどうしても「ブラウザでみえるものを作りあげる」ためのラインマネジメントを主にしている人が殆どではないでしょうか?
また、Webサイトは、その気になればある程度の規模でも1人でも作れるメディアです。
特に90年代のWebサイト制作の黎明期には、人員的にも職域的にも分業が出来る状態じゃなかったから、必然的に1人でやっちゃうって人が多かった。僕もそうです。
では最近はどうか?と言われても、分業状態はある程度進んだかもしれないけど、現状の多くは「HTMLコーダ(マークアップエンジニア)」「プログラマ」「デザイナ」「企画担当」といった分業が限界ではないでしょうか?
今後の「文書コンテンツ」の見せ方は必ず変わっていく。
今後において「Web用のライティングやWebライター」という職域が必要なのか否か?については議論の余地があるにしても、サイト構成やコンテンツを考えた上で「文章の見せ方」というのは確実に変わっていくはずだとと思う。
そして、本来「最初に考えるべきSEO」というのは、この「サイトとしてのコンテンツの見せ方・読ませ方」を前提にすべきなのではないか、と思う訳です。
「紙やテレビ・ラジオのメディア」といった旧来の4マスと比べた時、「Webサイト」には大きく違う側面、つまり「Webサイトはそれ自体には告知機能を持たない」以上、エンドユーザのニーズとWebで掲載するもののシーズをマッチングさせたライティングがなければ、Webサイトは「ユーザの問題解決の手段」の提供には繋がらないと、日々考えています。
先日のアックゼロヨンにいらしていたSEOソリューションズの住さんのところではライティングの部門がある、というのはきっとそういう事があるからだと思っていました。
単にテキスト情報といっても、カタログで使用されるようなものと、何かを説明するためのものでは大きく異なります。作成に特殊な能力が必要とされる訳ではないとは思いますが、それでも何らかの訓練は必要です。また、アクセシビリティの実現という観点からも、今後はテキストの扱いがより重要になってくると思うのです。内容を伴ったアクセシビリティを実現するためは、媒体や表現手法にあわせたテキストのコントロールが必要になりますが、テキスト情報の扱いに精通した人材がいなければ、このようなコントロールは期待すべくもありません。
<a href="http://www.laplace-lab.org/diary/archives/000092.html">情報大工のひとりごとより</a>
上記でも書かれていますが、やっぱり媒体、僕はWebの世界にいるのでその業界に、って事になりますが、Webに沿ったライティングというものは確実に存在するはずです。
5月ごろ発売のWebDesigningでも確かそんな特集があったようなきがします。
あとMixiで現在ファッション誌『VOGUE』の編集長さんは、Webのリソースについて、
「これだけ情報があるのに、ただ情報があるだけでストーリーがない!」
とおっしゃっていたそうです。
こういう分業化していったものをコントロールしたり、そもそも(効率やクォリティをあげて、コスト計算の採算が取れる)分業化を進めていくのもWebディレクションを行う人には必要なのでしょう。