iTunes Uとかの発表後の世の中のタイムラインを見ていて。
2012年01月20日
昨夜アップルが発表したiTunes Uなどの発表を受けて、今朝TwitterやFacebook上のタイムラインで、「今や、コンテンツは無料の時代だ」的な事を書いている人をものすごい見受ける。
その考えの先がどうなるか?というのがあんまり実感されていないような印象をもった。
なぜなら、その考えは昨年の原発問題とか環境問題とかで「自分が生きている間は大丈夫だ」と考えるのと同義で、さらに「コンテンツは無料だ」ってもっとひどくて、回りまわって自分の所得に影響が出るのが数年レベルで訪れるであろうということ。
そもそも「コンテンツが無料」で提供されるのは、それ自体が別の形でマネタイズされている(フリーペーパーとかみたく広告収入とか)、もしくはマネタイズされつくしたから(青空文庫とか)、であって頭から価値のあるコンテンツが真の意味で無料で提供される訳がない。
逆にそれを無料で提供出来るというと団体や企業は、やはり別の形で事業的にマネタイズが出来ている結果でしかない。
大学でいえば、原資となるのは端的に言えば大学生の学費だ。
今回日本でも東京大学・京都大学・慶応義塾大学などが名を連ねているが、それらの大学生の学費、もしくは教員の方々の給料内の本来はもっと短期的にマネタイズされるはずであったであろう労働力の結果で、そこには感謝以外の何者でもなく「当たり前だ」なんてのは考えられない。
このことは経済の流れをちょっと考えれば、もしこういった「人の手や知恵が入ったもの」が真に無料になれば、ちょっと乱暴なのを承知でいえば「人件費は今や無料の時代だ」みたいなところまで行き着く・・・。
一方で、教育という分野でこういった動きになったのはやはりありたがいというほかない。
浦沢直樹さんの「マスター・キートン」でユーリー先生が「人はどこでも勉強することが出来る。知りたい心さえあれば。」と言っているのは珠玉の名言だと思う。
その学ぶことが出来るプラットフォームをアップルが選択したのは、名村が感じる限り、90年代に東京大学教養学部のテキストであったのにも関わらず大ヒットとなった「知の技法」からの「今後は教育、知育」の流れの最たるものだと思う。(某予備校の仁先生元気かなぁ・・・)
逆に言えば、今回のように無料で提供出来るプラットフォームが出来たなかで、自分自身の何が社会にとって付加価値があり、そこから所得をいただけるのかってのもっと突き詰めて考えさせられるような気がして、逆に怖いなぁ・・・と思いました。