マーケティング視点から見る無料保険のドアノック商材
無料保険のDMからはじまった疑問…
某クレジットカード会社から、1通のDMが届きました。
中身は「無料で入れる保険」の案内でした。交通事故の死亡保障がついて、しかも2年間は完全無料。条件を見る限り、申し込めば誰でも入れるような内容です。そして当然ながら同梱されていたのは有料の三大疾病である「がん(悪性新生物)」「急性心筋梗塞(心疾患)」「脳卒中(脳血管疾患)」へのケアの保険でした。
今回の話題は「無料保険」がドアノック商材であると理解し、実際は有料版の保険も一緒に入会させることが目的のDMであることは理解しつつ、これをネタにマーケティング施策を深堀りしてみた、という思考遊びです。
上記までのことは分かりつつ、無料保険だけを最初に見たときは、「まぁ無料なら入っておいてもいいのかな…?」ぐらいの温度感でした。
ただ、ひとつだけ気になる点がありました。
この手の保険であれば、本来は「約款」や「特約」といった、細かい条件がどこかにまとまっているはずです。実際、資料の中にも「適用される約款名」の記載自体はありました。
ただ、その“中身”が見当たらないんです。
僕の見落としかな、と思って一通り資料を見直してみたのですが、やはり本文としての記載は見つからず、「あれ?」という違和感が残りました。
これでも一応、普段はWebの仕事をしているので、「情報がどこに置かれているか」や「どういう構造で設計されているか」は気になるタイプです。
ということで、この違和感を起点に、
この無料保険ってそもそもどんな中身なのか
なぜ無料で提供できるのか
この仕組みはビジネスとしてどう成立しているのか
あたりを一度ちゃんと分解してみることにしました。
先に結論だけ軽く書いておくと、
この「無料保険」は、いわゆる保険商品というよりも、マーケティングの文脈でいうところの「ドアノック商材」に近い設計になっています。
そしてもう一歩踏み込むと、「無料で何かをもらっている」というよりは、“別の価値と交換している構造”になっている、というのが実態に近そうです。
この記事では、そのあたりを順番に整理しながら、
無料保険の中身はどうなっているのか
なぜこのモデルが成立するのか
マーケティング的に見ると何が起きているのか
を、できるだけフラットに書いてみようと思います。
同じように「これ、無料だけどどうなんだろう?」と感じたことがある方の参考になれば幸いです。
1. 無料保険の中身を分解してみる
まずは、今回案内されていた無料保険の中身を整理してみます。
ざっくりまとめると、以下のような内容でした。
交通事故に限定された傷害保険
死亡時に保険金25万円
保険期間は2年間
保険料は無料(カード会社負担)
申込はチェック一つで完了
こうやって並べてみると、「無料だからとりあえず入っておくか」と思わせる設計になっているのは間違いないと思います。
ただ、少し冷静に見てみると、いくつか気になる点がでてきました。
まず、保障の範囲がかなり限定されています。
「交通事故」に限定されている記述があるので、病気はもちろん対象外と思われますし、日常生活での事故も基本的には対象にならない…と思われます。
言葉の歯切れがわるいのは冒頭で書いたように「約款」や「特約事項」の記述が無料保険については一切封入されていないのです。
さらに、死亡時の保険金が25万円というのも、よくよく保険として考えてみるとかなり小さい金額です。いわゆる「万が一に備える」と考えても、この金額でカバーできる範囲はかなり限られています。つまりは「他に保険に入っている」ことがある程度前提になっていて、「無いよりましでしょ?」的なもの、と言えます。
ここまで整理すると、ひとつの結論としては、保険としての実用的な価値はかなり限定的と言ってよさそうです。
もちろん「無料で25万円の保障がつく」と言えば聞こえはいいのですが、実際に使う場面や意味のある保障かどうかで考えると、少し見え方が変わってきます。
2. なぜ無料で提供できるのか
では、こういった保険がなぜ無料で提供できるのか。ここは仕組みとして理解しておいた方がいい、深堀りしておいた方がいいポイントになってきます。
保険というのは基本的に、
事故が起きる確率×支払う金額
この掛け算で原価が決まります。
今回のケースで言うと、
交通事故に限定(=発生確率が低い)
支払額が25万円(=低い)
という条件なので、そもそもの保険原価がかなり低い構造になっています。
交通事故というのは全国区で見たら多くの方が自責・他責を問わず被害にあっていますが、個人の発生要因としては病気になるよりも遥かに低いといえるものです。また文面を見る限りやっぱり「交通事故限定」と読める記述になっています。
さらに、これは個人契約ではなく団体契約になっているため、保険会社としてもリスク分散が効いています。
この「団体契約」というのは、
保険会社 ← 契約 → クレジットカード会社(団体)
↓
会員(自分)
という構図になっていて、保険料は団体(カード会社)がまとめて払っていることになります。これによって年齢分布や属性もセグメントされています。これらがセグメントされているということは、事故発生しにくそうな年代・性別に限定することができるので、結果として「保険支払の発生率を下げることができる」ということに繋がります。つまり保険会社としてのリスクヘッジが容易にできている、ということになります。
これに対して「個人契約」はみなさんもご経験があるかとは思いますが、上記でいえば「保険会社←契約→自分」という構図になっている場合ということです。
このあたりを踏まえると、
「無料で提供してもビジネスとして成立する(だって支払いリスクが低いから)」
というのはそこまで不思議な話ではありません。
むしろ、この時点で少し視点を変える必要があって、
これは“保険を売っている”というより、“別の目的のために保険を使っている”のではないか?と考えた方が自然です。
3. ドアノック商材という考え方
ここで出てくるのがタイトルにも書いた「ドアノック商材」という考え方。
簡単に言うと、
本命の商品を売る前に、最初の接点を作るための商材
のことを指します。
営業の世界だとよくある話で、
いきなり高額商品を売るのは難しい
まずはハードルの低い商品、もしくは無料のサービスで接点を作る
そこから関係性を作っていき、アップセル・クロスセルを狙っていく
という流れを作る第一歩となる商品・商材のことです。。
今回の無料保険は、まさにこの「最初の接点」を作る役割にかなり近い設計になってるといえます?
無料であることによって心理的なハードルを下げて、まずは申し込みという行動をしてもらう。その結果として、「契約者」という関係性が一度成立する。
この時点で、今回のこのDMは単なるDMとは全く違う状態になってきているといえます。
4. 本当の価値はどこにあるのか
ここからが今回の話の一番重要なポイントになります。この無料保険でクレジットカード会社、もしくは保険会社側が得ている価値は何か?
僕は最初は「個人情報の取得なのかな?」と思ったのですが、よく考えるとそれだけでは説明がつきません。なぜならクレジットカード会社であれば、もともと顧客情報は持っているはずです。
では何が価値なのかというと、もう少し突っ込んだ考察が必要となりそうです。。
4-1. 保険利用に対する“同意”
まず一つ目は、「保険に関する情報提供に同意した顧客」という状態です。
カード会社が持っている情報と、「保険会社に提供されることに同意した情報」は意味合いが全く違います。
この同意があることで、保険商品に関する提案ができる状態になります。
4-2. 「保険に反応する人」という属性
もう一つ大きいのがここです。
無料とはいえ、申し込みをするという行為は、「この人は保険というものに対して一定の関心がある」という状態をしめすことになります。
マーケティングの観点でいうと、これはかなり価値の高い情報になってきます。
4-3. 継続的な接触が可能になる
さらに重要なのが、継続的な接触です。
一度契約関係が成立すると、
DM
メール
場合によっては電話
といった形で、継続的にコミュニケーションを取ることができるようになります。ここまで来ると、単なる「広告を見る人」ではなく、「関係性のある顧客」に変わっています。
この3つをまとめると、今回の無料保険の本当の価値は「保険」そのものではなく、「顧客との関係性の獲得」と言えそうです。
5. ビジネスモデルを数字で考えてみる
では、このビジネスモデルが実際にどのくらいの精度で回っているのか。公開データがあるわけではないので、一般的なマーケティングの視点から考えて見たいと思います。
例えば、1000人にDMを送った場合。
無料保険に申し込む人:2〜5%
その中から有料商品に進む人:3〜10%
とすると、最終的に有料契約に至るのは、
1000人中1〜5人程度
という計算になりますね。0.1%〜0.5%という数字になります。これは一見するとかなり低く見えますが、ここで重要なのは「1人あたりの価値」です。
仮に有料保険の方が「月額2,000円」だった場合、その保険に加入し2年間継続した場合、売上としては、
2,000円 × 24ヶ月 = 48,000円
になります。
数人でもこの水準の顧客が獲得できれば、DMコストは十分に回収可能といえます。
つまり、少数の課金者で全体のコストを回収するモデルになっています。
6. なぜ人は申し込んでしまうのか
ここまで構造を見てきましたが、ではなぜ人はこの無料保険に申し込むのか。これは心理的な要因がかなり大きいようにおもいます。こういった時の施策として、心理的な部分での効果や狙い、いくつか代表的なものを挙げてみます。
無料バイアス
「無料」というだけで、価値以上に魅力的に感じてしまう。
権威バイアス
クレジットカード会社というブランドによる安心感。
フット・イン・ザ・ドア
小さな行動(無料申込)をすると、その後の提案も受け入れやすくなる。
一貫性バイアス
「一度申し込んだ」という事実が、その後の判断に影響する。
こういった心理が重なって、結果としてCVRが成立していると考えると、かなり納得感があります。「保険」という不確実だけど発生することが確実視(=顕在化していると錯覚する)されることへの対策、という商材においては、これらは強く働くと思います。
7. これは搾取なのか
ここまで見ると、「なんだか搾取されているのでは?」という印象を持つ方もいるかもしれません。ただしこの点については少し冷静に考えておきましょう。
結論としては、搾取とまでは言えないが、情報の非対称性はあるというのが実態に近い気がします。
なぜなら、今回の件でいえば「無料」保険への加入だけでいえば、金銭的な損失は基本的にはありません。「団体契約」とはいえ、大手保険会社との契約である以上。無料保険であっても保険支払の条件に合致している限り、滞りなく支払われるはずです。(仮に保険会社が倒産したとしても、日本の業法で倒産時には保険債務は別の保険会社に引き継ぐなどされ、加入者の不利益にはならないようにかなりに配慮が法律でされています。)
ただし、
実際の保険価値
その裏にあるマーケティング構造
が十分に理解されないまま意思決定される可能性はあります。
8. 自分が感じた違和感の正体
最初に感じた「約款が見当たらない」という違和感。これは結果的に、「この商品は本当に何を提供しているのか?」という問いに繋がってきます。
表面的には「無料の保険」ですが、構造としては顧客獲得のためのマーケティング装置になっている…。そこに気づくと、最初の違和感の意味がかなりはっきりしてきます。
9. 結論:この無料保険に入るべきか
ここまでを踏まえて、じゃあ今回の無料保険には実際に入るべきなのか否か?かなりシンプルに言うと、
入っても大きな損はしない
ただし得られる価値は限定的
というバランスになるんじゃないかな?と思います。
一方で、
継続的な営業接触
情報提供
といった形で、保険会社、もしくはクレジットカード会社から営業を受ける機会が増えるとは思いますし、通常保険のDMを受ける機会も増えるでしょう。
「届いても捨てるだけだから」というかもしれませんが、それでいいのか?的な話もあります。(僕は郵送物は最低でも見るので、その手間が増えるのは増えます。)
もしご自身でファイナンシャルプランナーさんに定期的に相談をしていて、自身の保険について「もう実はこれ以上やることが(収入を割く割合的な意味で)ない」というならば、そもそも支払われる可能性が極端に低い25万円の可能性で個人情報を売らなくてもいいとは思います。
10. 判断するためのフレーム
最後に、マーケティングやブランディング的な視点で、商品をプロデュースするとしたら?とい意味で「プロデュース」カテゴリーの記事にしましたが、今回のようなケースで使える判断フレームを整理しておきます。
自分が得るもの vs 相手が得るもの
価値のバランスを見る。
なぜ無料なのか
無料である理由を考える。
代替できるか
他の手段で同じ価値が得られるか。
将来の影響
この選択が将来にどう影響するか。
今回の無料保険に限らず、「無料」という言葉が出てくるものは、何かしら別の価値と交換しているケースがほとんどです。
その構造が見えるだけでも、意思決定の質はかなり変わってくると思います。
このあたりが、何かの参考になれば幸いです。