モノづくりの精神
2006年03月20日
明後日に高嶋ちさ子さんのコンサートに行くのですが、久しぶりに公式ウェブサイトをざーっと見ていたら高嶋さんってもう2年近く前ですが、ストラディヴァリのバイオリンをお持ちなんですね。
ここにその日の日記がありますが、見ていて面白い日記です。
でも、なんでこれをここのネタにしたかというと、ストラディヴァリって、音楽に疎くても名前位は知っているであろうこのバイオリン。
って事で、ちょっと調べてみました。
音楽辞典を引いたところ、ストラディヴァリ作と同定される楽器は、世界中に約650点ほど現存しているそうです。
アントニオ・ストラディヴァリ(1644/9-1737)は、クレモナで息子2人と工房を開いていて、彼の工房で作られた楽器の大半が父の作とされているらしいです。
ちょっと話が飛びますが、元声優だったからという訳ではないですが、個人的にバイオリンというと映画「耳をすませば」(原作:柊あおい 脚本:宮崎駿)に繋がるのですが、やっぱりストラディヴァリの時代の「モノづくり」というのは、芸術家でありながらも「職人」としての一面が物凄く強かったなぁ、と改めた思いました。
昔から、役者が駄目だったら伝統工芸師になろう、と思っていたぐらい、「モノを作る」って事は好きなんですが自分の作品を工房で弟子と手分けして制作していく。
至極当然の話でだからこそ、世界中の美術館にエルグレコやルーベンスの名に帰される名画が並んでいるわけである。
絵の中に所謂「隠し事」をちりばめた18世紀以前の絵画であるオールドマスターなんて、一枚描くのに一体どれぐらいの時間をかけたのか?なんてのはとてもじゃないけど、分からない。
もちろん、Webサイトをこれと同じくして、時間をかければ良いものが出来る、とか逆に時間をかけないと良いものは出来ない、なんて事を言うつもりは毛頭ない。
ましてや個人の趣味でしかないのでなければ、費用対効果がある以上、100万円なら100万円の工数が実際に生まれてくる。
その時間で作らなければ、その仕事は赤字であり、失敗なのだ。
それでも、モノづくりで必要なのは「ラストワンマイル」にどれだけ魂を込められるか、だと思っています。
その心意気が細部のクォリティを上げ、全体を見たときに「なんかちゃんと作ってるなぁ」感に繋がるのだと思います。
一般のユーザーは「このボタンのクォリティがいいなぁ」なんて見方はしないでしょう。
その代わり、ちょっとずつ手を抜いているのは全体的に「なんか・・・・・しょぼくない?」という、ぼんやりと、でも恐らく的確な見方をしてきます。
それはalt属性が入っている入っていないなんていう細かい所にも繋がってくる事。
Webサイトのいい所でもあり悪い所は(Internet Archive Wayback Machineとかにアーカイブされて残っているのを別にすれば)印刷物のように後世に残らないこと。
それはもしかしたら、最終的にWebサイトのクリエイターにとって弊害になってくるのではないかな?と個人的には思っていたりもします。
ですが、ディレクションであり、プロデュースをする人間として、作品のクォリティを考えた時、現存の650台のヴァイオリンを作るのに、(仮に90歳の生涯のうち)60年を費やしたとして、一年に10台強のペースで作り続けたストラディヴァリの精神だけは忘れないようにしておきたいと思います