Webディレクション

Webディレクター30年目が始まりました。


2025年も4月になりましたが、この4月でWebディレクターとして30年目の年が始まりました。

仕事=お金をいただいてWebサイトを作るということを始めたのが1996年で、そこから考えて30年、ということです。始めた当時は大学生だった訳ですが、まさか自分が一つの仕事をこんなに長く続けることになるとは思いませんでした。

10年は節目と言われることもありますが、実際「10年単位に何か意味があるのか?」といわれるとよく分からないですが、30年という区切りでもあるので、記録に残しておこうと思います。

Webに関わって30年経って…

Webサイトを実際に触り始めたのは1994年だったと思います。当時は「NCSA Mosaic」というブラウザで回線速度が遅すぎて、画像が1mmずつ表示されるようなのどかな環境でWebサイトを見ていました。

当時は検索エンジンもなく「URLを記憶して、ブラウザに手入力をして…」という時代でしたし、覚えていられないものは「とりあえずブックマーク」をしていました。

ただ、当時は大学生で暇だったのもあり、興味津津だった時期もあり、URLは100箇所ぐらい覚えていました。そこから30年Webサイトをユーザーであり作り手として見てきました。いろいろな技術が生まれて消えて…という変遷もみてきました。

僕は作り手でもあったので、フロントでいえばHTML2.0から始まりHTML5への変遷、それ以外でもECMAScript、JavaScript、CSS、Flashなどなど、覚えては実装を試し、試しては覚え…というのをいろいろ繰り返していた時代が懐かしいです。

学生起業としての走りのような中で…

明確に「Webディレクター」というのを名刺に書き始めたのは1998年でした。そこまではそもそも「Webディレクター」という肩書時代が存在していなかったので、当時は学生でもあったので肩書もなくやっていたのを覚えています。

当時はとにかく必死にWebを作っていたような気がします。ただ自分が好きで始めたことで、実際何時間キーボードを叩いても何も気にならなかった時期でした。当時は大学生・役者修行・Web屋・アルバイトの四足のわらじを履いていました。なんとも濃密な時間を過ごしていたと思います。

一方でこの仕事を生涯の仕事にする気などサラサラなく…というよりも、当時はWeb制作自体が仕事としては認知されていませんでした。ですので、普通に三年生の後半には就職活動を始め、幸運にも四年生の4月早々には内定を取れたものの、同時期にいっていた声優の養成所の昇進試験に通ったことで自分は声優・舞台俳優になるのだ!と就職を蹴ったのもこの時期でした。

その後1999年3月末で僕が主宰をしていたWeb制作のチームのメンバーも就職をしたことで事実上解散をしました。当時持っていた顧客は関西で生まれ始めていた法人格の制作会社に引き継がさせていただきました。そして僕は単身上京をして東京にきました。やっていたWeb制作チームは個人事業主形態だったこともあり、廃業はせずにそのまま持っていて、時折来る学生時代のツテでのご相談をお受けすることをしていました。また1996年ごろからのWeb制作のワークフローをまとめ、「Webディレクター育成講座」の準備を始めていました。これは同時業界内で「作り手は増えてきたけど、仕事を回せる人がないよね」ということをいろいろな人と話している中で「なら、一度まとめてみよう、それは役に立つかもしれない」という想いからでした。
まさかそれが25年も続くことになるとは思いもしませんでしたし、当時の内容を今も使い続けることになるとは思っていませんでした。またそれほど完成度が高いのものになるとも思っていませんでしたが、今もスライドの中身には、1999年に考えていたものがそのまま使われていますし、今も自分のディレクションの中で考え方としての根幹になっています。

純度の高いWebディレクターの開始

そして2000年からは株式会社ネクスト(現:株式会社LIFULL)にアルバイトという形で入るのですが、そこでちゃんと会社組織として「Webディレクター」を名乗ることとなりました。

当時は今よりもWebディレクターという人口が少なかったのもあり、少なくとも僕がいた組織では「クライアントワークもするフロント実装屋」という様な動きをしていました。
営業と同行もするし、Webサイトの企画も作るし、デザインもするし、HTMLもCSSも書くし、Flashも作るし、CGIでもお問い合わせフォームぐらいは作らないといけないし、みたいなことをしていました。ただその中で今でいう「フルスタック」としての自力を作らせてもらえたと思っています。その頃には純粋な自分の興味の先としてサーバーサイド側の学習も始めていたのと覚えています。会社に自分のミドルタワーのマシンを持ち込んで、Linuxを入れてサーバーを作ってコマンドラインを学習して、Emacsを使って色々していたのを覚えています。その影響で当時Windows使いでしたが、WindowsにもMeadowを入れて常用していました。

ただ、この頃から純粋な「企画」から進行管理という部分への興味がどんどん強くなっていたと思います。自分で「Webディレクター育成講座」をまとめたことで「何のためにWebサイトがあるのか?」という部分が自分にとって形にするべき部分である、というような使命感のようなものが芽生えていたのかもしれません。

二足のわらじだったWeb屋生活

もともと2000年から2004年までは本来は声優・舞台俳優になるために上京してきたこともあり、声優養成所を経て声優デビューをした中でWebディレクターを兼業していたような時代でした。とはいえ全く「食える」なんてレベルではないペーペーでしたので、周りから見たらどうみても「専業Webディレクター」ではあったと思います。

父親が大学卒業で就職しないで俳優修行を許してくれた時の唯一の条件が「30歳までに俳優だけで飯が食えなかったら諦めろ」でした。そしてめでたく30歳に「これで駄目だったら無理だ…」というオーディションに落ち、俳優の道は終わりました。その後務めていた株式会社ネクストに正社員として入ることになります。

その時点までネクストではアルバイト契約にしてもらっていたのは俳優修行があったからです。そしていち従業員のそうった活動を認めてくれ、それでもLIFULLの創業社の井上 高志さんは「なむちゃん、正社員にならないの?」と折に付け言ってくれていました。さらには俳優を廃業したら正社員にすぐにしてくれた井上さんには感謝しきれない恩があります。

本格的にWebディレクター専業に

2004年からは僕は自分の主たる仕事としてWebディレクターを始めました。丁度mixiが出来たころです。それまで当時のWeb制作者では有名だった某メーリングリストは見ていましたが、Web制作者の方と実際にあったりするのはmixiのコミュニティとしてはじまった「WebSig24/7」のイベントに出るようになったことがきっかけでした。このコミュニティに入ったことは僕の人生を変えたといっても言い過ぎではないです。今でも交流を持たせてもらっていて目標である阿部さん(ワンパク)や森田雄君(ツルカメ)と会ったことは人生における奇跡でしょう。

2005年には転職をして、更にWebを作ること、そして幸運なことに経営側の立場も経験することができ、2010年までを駆け抜けました。そして2010年に元々持っていた個人事業主から法人成りする形で「株式会社サービシンク」を立ち上げました。

気がつけばサービシンクも16期目に

元々僕は現場にずっといたいと思っていました。ですので、サービシンク創業時も「10人までの会社にしかしない。だってそれを超えると僕が現場に出られなくなる案件が出てくるから」と公言していました。しかしあれよあれよと「サービシンクという法人」さんは大きくなり、いつの間にかサービシンクは人を増やさないといけない会社になっていきました。

今もまだ現場にいますがすべての案件にディレクターとして関わるのは不可能になっています。しかし社内でのディレクター育成を兼ねてプロジェクトオーナーとして参加したり、することもまだ出来ていますので、まだまだ経営者をしているとはいい難いと思っています。

ざっと振り返った30年は?

何を作った来たか?というよりも30年をざっと振り返ってきましたが、僕は本当に幸運だったと思います。時代もそうですし、自分の選択してきた内容がそれなりに役に立ち、下世話な言い方をしたら「自分の給料を上げることに寄与する」事ができてきました。今はもう経営者ですから給料云々はある意味会社の業績に反映されるので、報酬自体は目的にも目標にもなっていません。   ただ関わらせていただいた案件、その担当者様などとの御縁は経験の積み重ねとしてとても感謝しています。

2007年ごろからはセミナー講演にも登壇をさせていただけるようになりました。多くのセミナーにださせていただいたと思いますが、今後はこの30年の経験が生きるならばセミナーでも積極的に登壇をしたいと思っています。

また経験の発露という意味では「Webディレクションやってますラジオ」 を通して多くのクリエイターの方と間接的に関われるようになっていることは本当に光栄だと思っています。

これから30年目が始まりますが僕の目標は「誇れるWebディレクターという職業を作る」ことにあります。


それは上記のブログに書いていることなのですが、ポッドキャストでいただくおハガキでもWebディレクターとして思案したり悩んだりしている方はとても多く、本当に楽しい仕事なのにそれが伝わっていないことにはもどかしさを感じています。

いっそ「サービシンクに就職」してくれれば、OJTの中でもっと細かくお伝えはできるのに…と思うことも多々あります。ですがもちろん日本全国の人を採用することはできません。

Webディレクター育成講座」やセミナー、「Webディレクションやってますラジオ」を通して「Webディレクターの仕事」を誰にでも誇れる仕事していくことを30年目からも続けていきたいと思っています。

多くの方に支えられ30年目を迎えることが出来ました。今後もこの「Webディレクションやってますブログ」、また「株式会社サービシンク」をご愛顧いただければ幸甚です。

今後とも何卒よろしくお願い致します。


名村晋治のプロフィール

Webディレクター 名村晋治

株式会社サービシンク

代表取締役 / テクニカルディレクター

名村晋治

1996年よりWeb制作に携わり、キャリア30年目のWebディレクター

2010年に不動産業界特化のWeb制作会社「サービシンク」を設立して、今も現場でディレクターとしてPMをしています。

詳しいプロフィール

大学在学中の1996年「Web制作集団ネイムヴィレッジ」を設立し100社を超えるサイト制作の企画、ディレクション、デザイン、マークアップ、システム開発に携わる。

2000年不動産検索サイトHOME'Sを運営している株式会社LIFULL(旧:ネクスト)に合流。
2005年からは都内のWeb制作会社に合流し取締役を歴任。同社ではフロント実装からディレクションまでを担当。

2010年東京のWeb制作会社・ホームページ制作会社、株式会社サービシンクを立ち上げる。 不動産業界に特化したサイト制作の、アートディレクション~HTML実装設計~システム設計のすべてに携わるジェネラリスト。基軸としてはクライアントの商売に寄り添う為に、徹底的に思考を巡らせる為のディレクションを行う。

Webブランディングの入門教科書」、「変革期のウェブ」を「マイナビ出版」から出版。

2000年から「Webディレクター育成講座」を独自開催し、40時間のカリキュラムを通し「仕事を回す事ができる」Webディレクター育成手法には定評があり。
首都圏のみならず地方でも講座実施、参加者は延べ700人を超える。 もう一つのキャリアとしてプロとして舞台俳優、声優。 1996年から養成所に通い始め2004年に廃業するまでの間はWebディレクターと二足のわらじでの活動。

俳優としては、東京の小劇場でシェイクスピアやマリヴォーといった古典を中心に舞台に出演、また声優としては大きく活躍できる程ではありませんでしたが、NHK海外ドラマや、洋画等、ゲームでの声優を行っていました。

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