親父に教わった、「任せる」っていうこと
2009年09月01日
前回のエントリーを書く時に書き忘れていて、後で思い出したんですが、親父と話をしているときにふと「あぁ、そういう事だったのか」と思ったことがまだありました。
親父は関西のゼネコンにいて、僕がガキんちょの頃は、現場監督をしていました。
ゼネコンの現場監督の仕事を全て知っているわけではないので、もしかしたら当たり前なのかもしれないのですが、少なくと親父は、予算から納期から全ての管理・監督をしていました。
そうなると、当然ながら数億、十数億のビルや学校を作るといった案件の末端全てまで目を通していくのは不可能な訳で、権限委譲をして、仕事を振っていかないと行けなくなるわけです。
そういった流れの話で、親父が言っていたのは、
自分以外の誰かに仕事を任せるのには、上役が「最後は俺が責任を取るから、お前の信じるようにやれ」とちゃんと言い切って、実際何かあれば一番最初に矢面に立つ事が大事やねん。
ただしな、大事なんは、それを言う前提に、「お前のやりたいって言ってるやり方はどういうものや?」というのを徹底的に話しをしてコミュニケーションを取った上で、軌道修正が必要な所と尊重するところをちゃんと弁えた上で、「そのやり方でやるんやったら、最後は俺が責任を取るから、お前の信じるようにやれ」と言わないとあかん。
と言っていました。
聞いた瞬間は「そりゃそうだ」と思ったのですが、後半の部分が何秒か遅れて「ん?あれ?あぁ、そうなのか」と腑に落ちました。
仕事を任せてもらえる、というのは、それまでの実績とか意欲とかから任せてもらえるようになるのだと思います。
一方で任せられる方は、よく分かっていないうちは「任せてもらえた」という事象そのものに「喜んで」しまいがちです。
これは僕もそうでした。
ただ、そこに「何をどうして、どういうつもりで、どうしていきたいから君に任せる」という部分が欠如したまま「任せる」というのは、それは「任せている」訳ではなくて、「自分はよく分からないからあとはよろしく」と言っているだけなのかと思った訳です。
話をして、何が自分の任されている範囲なのか?というコミュニケーションが無かったら、「ここまでは大丈夫」と思ってがんばっている所で「それは越権だ」となり、それが続くと「やり過ぎたらまた何か言われる」となり、どんどん萎縮して小さく小さく自分のやれる事だけを進めようとなっていってしまう。
そこに大事なのは、「任された方」ではなく、「任せる方」がちゃんとコミュニケーションを取るという基本的な事なんだなぁ、と改めて親父から教わりました。
だんだん任せる事をしていかないといけない立場になってきてる中で、個人的にとても染みいった話でした。
楽しいのはこれが温泉に入りながらやりとりがあったことなのですが、そういう親父で本当によかったなぁと思う訳です。