メンターたる人と持てる幸せ
2009年11月06日
最近いろいろな方とお話をさせて頂く機会が多いです。
その中で結構お叱りというか、名村の甘さとか至らなさをガツンと指摘をしてくださる方がいて下さいます。
名村は基本的に「えぇ格好しぃ」なので、基本的には兄貴風をふかしたい訳です(爆)
というのは、そういう立場ってある意味「楽」だからなんですね、自分を守っていられるわけで。
ですので、正直言うと、自分の至らなさを指摘される言葉、タイミングって、やっぱりその瞬間は聞くのは辛い訳です(笑)
ただ、この年齢になると、まぁ、黙ってても「兄貴的な」状態になる時は増えてくる訳で、逆に「自分の悪い所を言ってもらえる」事の方がどんどん少なくなってきます。
その事を分かっているので、自分の中で「辛い」と思いつつ「ありがたい」と思える自分も同時にいたりします。
難しいもので、そういう事ってのは、
- 言ってくれる方がいる
- 言ってくれた言葉を受け取れる自分がいる
というのが同時に成り立たないと上手くはいきません。
一方で、聞き手側には更に
- 言われたときに「こいつはとりあえず聞きそうだ」と思ってもらえるオーラ
を出している事も必要になのかな?と思ったりしてます。
得てして知恵とか経験とかが付いてくると、自分より若年の人の話ってのはその内容にアラが見えたりしてしまい、そこにつっこみを入れてしまったりします。
また上役的な人に話をしようとした時に「聞いてはくれているけど、受け取ってはくれないだろうなぁ」と思えてしまう方もいたりします。(その中にある話して側の勘違いの要素については、別途またエントリーにします!)
そうなると、「言ってもらえて・言いたくなる」という関係はやっぱり成立しなくなってしまいます。
そういう意味でいうと、自分の友人や先輩の中で自分に取ってメンターと思える人がいて、実際その方から何かしら自分のダメな点を指摘される機会を持てる事ってのは、本当に幸せな事だなぁ・・・・と思う訳です。
多分、そういうタイミングで誰かに何かを伝える、というのは、伝える側はもの凄いパワーがいる訳です。
逆にパワーを持っていない言葉は、多分他人事になっているのだと思いますし、伝わらない関係になってしまっていると思います。
でも往々にして、そういう方は自分が「わざわざパワーを使っている」わけではなくて、常にパワフルだったりします(笑)
なので「いや、別に頑張っているつもりではないよ?」と仰る場合の方が殆どだったりします。
それでも、受け取る側はそのパワーに感化され、自分の内省をしていって、どこかのタイミングでそれらの言葉が統合されて、腑に落ちて、何かしらのブレイクスルーを引きを超す事になるんだと思います。
その「タイミング」を享受出来る為には年を重ねるほどに、聞く耳をしっかり立てて、話を聞く姿勢を立ち位置や役職に関係なく持ち続ける才能が必要なのだろう、と思いました。
その相手はだれ?ってのはいつかお話をさせて頂くとして、本当にありがとうございます。