Webディレクション

100点の世界を知ってみてください!自分の判断基準を向上させる方法

本当のプロフェッショナルのいる100点の世界

本当のプロフェッショナルのいる100点の世界


皆さん、「意識高い系」と言われるのは嫌だけど社会人になった今、「自分自身をどうやって成長させたらいいんだろ?」と悩んでいる人はいませんか?

社会人になると「定期テスト」もないですし、強制的にくる「入試」というのもありません。

そのため、自分で頑張らないとついつい日々流れていってしまいます。

  • あれ・・・あいつ、いつの間にあんな大きな仕事できるようになってたの・・・?
  • おれ・・・追いぬかれているやん・・・

て事、ありません?

そう社会人は「自分で自分を奮い立たせないと頑張れない」環境なんですね。

ということで、「自分を発奮させる」やり方です!

自分より優れた人との会話で「100点」という世界があるというのを知った

Web制作・ホームページ制作会社である株式会社サービシンクを立ちあげた後、名村にとって「Webディレクター」としてのいろいろな基準を持つ上での大きな出来事として、「100点の世界を見られた」という事があります。

そのきっかけはあるパートナーさんにデザインのお願いをしたことでした。

その方との仕事において、ビジュアルデザインの領域で「うわーうわー、これすげー!!」と本気で思った経験をさせてもらいました。もうラフを見ている時点から嬉しいやら楽しいやらすごいやらで、ニヤニヤが止まらないほどの経験でした。

自分のアートディレクションの基準としては「おお、いいね、これ」的なものはもちろん今までもありました。

でも、その時の経験というのは、Webディレクターの仕事で自分が直接関わった案件では今までほとんどしたことがありませんでした。本当に衝撃的だったんです。

あるタイミングでどうしても結構急ぎだったので「原稿を書き上がるのをまつ編集者さん」のようにその人の横でPhotoshopの作業を見ていたこともあります。そのPhotoshopの使い方からして感動的なぐらい綺麗でした。

でも、もっとすごかったのはその人の言葉でした。

>「僕は90点行くかいかないか、いっても91点ぐらいだよ。◯◯さんとか△△ってのは、99点とか100点とか。98点なのをどうやって99点とか100点にするかで悩んで苦しんでる。もうあれって神の領域の話。そこで彼らは悩んでるの。僕でもよく分からない世界があるんだよ。」 (◯◯の部分を実名だすと、そもそもどなたとこの話をしたのか分かりそうなので伏せ字にしています(^_^;)

「なんとなくすごい」と思っていた◯◯さんとか△△さんの凄さが、目の前で繰り広げられているデザインを基準にして朧気ながら見えてきました。

数をかぞえたとして「1・・・10・・・・100・・・えーっと、たくさん・・・」の、「たくさん」としか認識できないような領域だったのが、「1500」とか「10000」と認識できた瞬間です。

これはそのまま自分にも返ってきて、「そうか、ここが90点で、あれが100点なのか・・・ということは僕は・・・・?」ともなりました。

「100点」の世界を垣間みて自分の価値観が大きく向上

この「100点の世界」を垣間見たというのはWebディレクションの「基準」「ゴール」を作る上でとても大きな出来事でした。

それまで漠然と「いいもの」と思っていたものに、ものさしの刻みが見えました。

それを知った後の世界は、全てが変わってしまいます。自分のアウトプットしているものの粗が分かる訳です。

これは本当に辛かった。

メールの文面、引いているスケジュールといった部分から、Webディレクターとして判断している内容、判断までの速度といった部分まで一事が万事そうなのですから。

ただ、その中で一つだけ気をつけていたことがありした。

こういった時、自分の気持ちだけが行き過ぎると、得てして自分の見えている理想を周りにまで直接押し付けようとしてしまいます。

その「周りに無為に押し付ける」ことだけはしないようにしました。

なぜなら周りの人は「僕」ではないからです。

「プロフェッショナル仕事の流儀」から得られる「なんとかそこに到れるように頑張る」思考

ちょっと話が変わりますが、この経験から僕は自分がNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」が好きな理由がはっきり分かりました。

この番組で「自分と同じ業界の人の回を見た時」に色々思うところはあるかもしれないですけど、あの番組としてのパッケージはやっぱり「100点の世界の人」を見せているのだと思います。

その「違う業界ではあるが、極めた人の想いや挫折や苦労」といったものに対して「憧れ」をもって発奮し、「彼我の差」をもってそれを「如何に縮めるか」ということを思っていたんです。

恐らく僕はそういった「なんとかそこに到れるように頑張る」というのが本質的に好きなんだと思います。

「その極めた人たちと並んで立てる自分」になりたいという憧れが常に僕の中にあるんですけど、「器用貧乏のコンプレックス」というか「凡人のコンプレックス」の裏返しですね。

余談が長くなりましたが、僕が今でも「プロフェッショナル仕事の流儀」は好きで観ている(個人的には茂木さんと住吉さんがいた時の方が好きです)のですが、そういった仕事人として「自分に足りない気持ち・スキル」といったものを少しでも補充したり、忘れないようにしようとするために定期的に見ているのだと思います。

「全身全霊で挑まなければ、限界は分からない」というプロフェッショナルの言葉に僕も挑む

このブログを書いている期間中に放送された、2015年3月16日の回は、小児外科医の山高篤行さんでした。

その方が仰っていたこと。

>「全身全霊で挑まなければ、限界は分からない

>「限界?誰だってありますよ。絶対あると思う。でも、だんだんと準備していくうちに、その限界が低くなっていくんだよね。そうやって近づいていくとその限界が限界じゃなくなる。限界は超えていくものだと思いますよ」

>引用元:HNK「プロフェッショナル仕事の流儀」小児科医 山高篤行(やまたか あつゆき)「恐れの先に、希望がある」

この言葉は正に「100点の世界に達するためには挑み続けなければならない、しかも一切妥協することない気持ちで」というものなのだと思い、みていてしびれました。

実際にこの言葉自体に挑む、という一線を越えられるかどうか、は仕事人に常々突きつけられていることだと思います。

そして、僕が「挑んで苦労をする」か「挑まない安穏と過ごす」のどちらを取るか?と言われたら?

僕は「挑む」方を取っていきたいから、どこまでいっても全部に一秒たりとも気を抜かず挑む自分でいたいと思っています。

名村が困って・迷った時に見る「仕事の流儀」の回と、マンガの紹介

「プロフェッショナル仕事の流儀」で一番好きなのは。

全部を見ている訳ではないのですが、過去見た中で一番好きで、今まででDVDを恐らく100回以上見ている回があります。

>チームの力がヒットを生む 商品企画部長 佐藤章

2014年からキリンビバレッジの社長になられた「佐藤章さん」の回です。

佐藤さんの回は、自分が仕事で辛くなった時とか困ったときとかに毎度毎度みていますし、個人的にいろんな時に紹介したり、DVDをプレゼントしちゃったりするぐらい観ています。

放送中にあった佐藤さんがお若い時の苦しみとか苦労、それを乗り越えるまでの下りが、今の自分が感じているものとすごく近いんです。

それ故、佐藤章さんがそれを乗り越えられた過程をみる事で、僕はWebディレクターとして発奮させてもらっています。

名村が自分をもり立てるために何度も読んでいるマンガ

余談続きで、個人的に僕が好きなマンガが幾つかあります。(マンガの話もいつかしますね)

これらは、何よりストーリーが好きなマンガです。

好きになっている理由は結構共通していて、主人公が「100点の世界を知り、その世界とそこに至っていない自分との差に苦しみ、それを乗り越えようとしている」というところです。

もちろんマンガなので色々デフォルメされていますよ。本質的にはそれぞれの主人公はもの凄い才能持ってますし(笑)それでも、その主人公が悩み苦しみ頑張って乗り越えようとしている姿というのは、物語として自分に投影されます。

そして、自分は共感しているこの主人公が頑張っている分だけ、現実世界で頑張っているのか?と思い、日々の暮らしで「自分が怠けないように」「もっと上があるはず」と思い続ける原動力にしています。

その意味では、「プロフェッショナル仕事の流儀」が好きな理由と同じで、フィクションかノンフィクションかの違いだけで、やっぱり「100点の世界」を何かしら感じるものに惹かれるみたいです。

この感覚が「誰にでも当てはまるものではない」のも事実

というような事を書いてきましたが、この「100点の世界を知って価値観が変わる」というのが万人に当てはまるものではないとも思っています。

それはそもそも「仕事」や「スキル」への個々人の思い入れのあり方が、人それぞれで異なるからです。

言ってしまうと、それをなし得る上での「優先度」や「重み」の捉え方が違うということです。

「仕事」への思い入れに違いがある

「仕事は『活きる糧』を得るものであり、それそのものに命をかけるものではない」という方もいると思います。

そしてそれ自体は決して「いい」「悪い」というものではないとも思っています。

なので、それを価値として生きている方に「おぃ、もっと仕事がんばれよ、高みを目指せよ」と今の僕は言いません。でも、昔はそれを言っていたと思いますし、少なくともそれを求める雰囲気を出していたと思います(笑)

「スキル」への思い入れにも違いがある

スキルを上げる事自体への思い入れの強さも人によって違います。

  • 今のスキルで仕事が問題なく出来ている。
  • ちょっとやればすぐにスキルは身につく。
  • そこまで高度なスキルは自分の現場では求められていないし・・・。
  • スキルを身につけても給料上がるわけじゃないし。
  • 別に今困っていないし。

理由は色々あると思います。

これもこの先の時代がどうなるかは誰も分かりません。Webの技術でも、今勉強している延長線上に未来がない、場合もあるでしょう。となると、一つのスキルと心中するレベルで高みを目指すのは違うと思います。

ただ、現状のままでは、きっと「衰退」していくか「取り残される」のは間違いないと思います。

「料理」であれ「伝統工芸的な技術」であれ「建設」であれ、ほぼ全ての技術は時代と共に変遷し進化し高度化していきます。それは時間の必然です。

というのを、どのように自分の仕事人としての今後と天秤にかけるのか?だと思います。

名村にとって「高み」を受け入れられたのはは「俳優修業をしていた」こと

ただ、名村にとって「仕事」に思い入れをもち、自分の「スキル」に常に不足感があるのは、経歴によるところが大きいと思います。

名村は自分が元々声優をしていましたが、御年70歳とか80歳が現場で普通に仕事されています。

そういった方々と並列で比べられ、自分の能力・技術の足りなさを、これでもかというぐらい見せつけられます

そしてその差がイコール「収入」につながる世界でした。

要は「仕事」に全身全霊でのめり込み、その結果として「スキル」を向上させることにこだわり、それを常にやっておかなければ「仕事をすること」すらさせてもらえない世界でした。

芸能の世界なので、そこには「才能」という要素ももちろんあります。

でも「才能✕スキル✕時代の気分」なので、比較される声優(=声が近くてギャラも近い人)と「相対的に」スキルが低ければ、仕事をさせてもらえないのです。

その為「声優で立身したい」と思えば、必然的に「仕事に対して全身全霊で取り組む」し、「スキルを上げるために出来ることは全部する」「相対値としての自分の得意を強くする」ということを、ごく自然に求められる世界にいました。

(「声優」の修行時代を含めてもちろん「ガチで俳優を目指す」人と「ミーハー的になりたい」と思っている人の差異は養成所や専門学校間でもありますし、自分が巡り会えた指導者の資質や方向性によっても大きく差はありますけど、名村は「プロの俳優」であり「演者」であることを強く求める師匠に教わってきた、というのも大きいですが。)

そういった背景があったからこそ「100点の世界を知った」のちに「そこに至りたい」「目指したい」「自分が足りていない」という事を「どうにかせねば」と思えているのだと思います。

僕は資質的に「努力しないとどうにもならない」というのを幼少期に理解をしていて、思春期にそれを徹底的にやらないと生き残れない世界にいたことで、自分の人生観というか仕事観が今回話題にしている「100点の世界を目指し続ける」方向性を受け入れるようになったのだと思います。

その意味では夢破れたものの、20代の10年間を「俳優の世界」で「全身全霊」を経験できていたのは、今となってものすごく幸せだったと受け入れています。

世間の「常識」に流されないことが本当に自分を大事にする条件

この話を書いていて、多分一定数の人には「うわー、こいつ精神論者やわー、うざー」という人がいるんじゃないかな?と思います。

それ以外では「そんな状態で健康的に生きられる訳ない」とか「そういう精神論の押し付けがうつ病とかを引き起こすんだよ」という意見も出てくるんじゃないかな?とも思っています。

一方で僕はつねづね、「世の中の常識」って本当に「万人に当てはまる常識なのか?」と思い続けています。

例えば、

  • 仕事の質を高めるには適度な休みを取らなければならない
  • 緊張の糸を張り詰めて(仕事的な意味で)走り続けているとどこかで絶対体調を壊してしまう
  • アクセル全開だとエンジンは焼き付いてしまう
  • ライフワークバランスが大事(主にプライベートを重要視する意味での)
  • これまでの軍隊のような個を抑えこむことから、個の気持ちや意見を大事にするべき
  • 何かに熱血するのはかっこ悪い

これは「自分にとって」本当なのでしょうか?

前半の幾つかは、確実に当てはまる人は居ると思います。それは間違いありません。当てはまっているならそれは受け入れたらいいと思います。

でも、「あなた」はそうかもしれないけど、「隣のあの人」も当てはまるかは分からない。

僕はいつも、これらの「周りが言っている『常識』を信じる」ことで、「自分が安心したり、逃げたり、できない・やらない理由を作ろうとしていないか?」と思っています。

人は違う、なのに世間の常識に自分を押し込める矛盾に陥らない

ここしばらく、特にインターネットが出てから、個人がメディアを持てるようになり、更にSNSの普及で、「個人」というのが今までになく尊重される時代になってきたと思います。そして、人はみんな個々人で能力が違っています。

肉体的なことを言っても「毎日2時間睡眠」でも元気な人(明石家さんまさんは睡眠障害と言われるぐらいのショートスリーバーなので有名)もいれば、毎日8時間寝ないといけない人もいると思います。

その結果として「個人の意見は大事だよね」ということがとても声高に言われるようになったと思います。

しかし、一方で「世間の常識」という「大多数の意見」、極論をすると広告代理店のプロパガンダかもしれない意見を自分に押し付け、「人と違ったことはしない」「長時間労働とかは、世間ではそれはやっちゃいけない、やってるとダメと言われているからやらない」という常識に自分を押し込めようとしていないでしょうか?

ショートスリーバーとかはそれがいいか悪いかではなく、自分の仕事において有益であれば、それは「能力」なんだと思います。

「能力」が仕事に合っていれば何かしら良い成果に繋がるだろうし、日本は資本主義で競争社会であるのは純然たる事実なので「能力がない」なら取る選択肢は2つしかないと思います。

  • 能力を身につけるために人以上の努力をして能力を身につけ評価を得る
  • 能力がないままでいて、その結果として他者より評価が低くなる

ここでいう「評価」が何かは人によって違うと思います。

だけど「能力がないことを認めるのが嫌だから、世間の常識を使い、安全地帯から他者を攻撃する」「私は悪くない」というのは違うと思うんです。

自分を「押し込める」と、人に「押し付ける」は違うんです

別に僕は「長時間労働しろよ」というようなことはいうつもりはありません。僕この仕事していて、結構マジで毎日定時にはあがりたいと思い続けていますから。

でもそれ以上に「100点の世界を目指す」という方が自分の欲求として強いだけです。

自分を世間の常識に「押し込め」ず、自分の「肉体的」「精神的」な能力を信じ、足りなければ「肉体的に鍛え」「精神的に自分にとってバランスをとれる方法を模索し」、日々もうちょっと上を目指したいと「僕が僕に対して」思っているだけです。

決して僕の考え方を人に「押し付ける」つもりもありません。

ただ、自分を「押し込めて」いませんか?というのはこのブログを読んで共感をしてくれた方がいれば、一度自分に問いただしてもらいたいなぁ、と思っています。

「個人が大事」というのであれば、なおさら「世間の常識とは別で『僕』はどうなんだ?」と。

その結果として「肉体的に弱いから無理」ならそれでいいんです。「精神的についていけない」ならそれでも問題ありません。

限界を確認した上で無茶をするのは勇気ではなく、単なる無謀です。

僕も普通に休みを取りますし、ずっと寝ている時もあるし、疲れることもありますし、精神的に落ち込むこともあります。

本当に1秒たりとも気を抜かず過ごすのは無理でしたし、毎日2時間睡眠というのはちょっと無理でした。(←試してはみた)

でも「おや、俺、できそうかも?」と思ったのであれば「今やらない理由はなんだろう?」と一考してもらいたい。

世間の常識に盲目的に迎合した結果は、恐らく「言い訳」となり、言い訳は「自分ならもっとできるかも?という道を探す」ことを拒否して、「常識」を逃げ道にして、楽をしたいだけ、なのではないかな?と僕は僕に言い聞かせています。

脳は実はプレッシャーが大好きで、その結果成長できるんです

人に「押し付けられる」た結果で成長できる人ってのは実際はいないんじゃないかな?と思っています。

ただ結果として「自分が望み、その結果としてくるプレッシャー」ってのは成長できるんじゃないかな?と思ってたら、実際そうみたいですよ!

>何よりも知っておくべきことは、人間の脳は、場合によってはプレッシャーが大好きだと言うことです。

>うまくいくかどうかわからない。そのような状況で、一生懸命やって、その結果うまくいく。その時に、脳はもっとも喜びを感じるのです。

>引用元:勉強法に悩んでいるみなさんへ (2) プレッシャーは、自分でかけよう。

脳ってホントに不思議な器官だと思うんですが、自らが与えたプレッシャーを乗り越えた時に成長できる、というのは本当のようです。

としたら「○○さんのようになりたい、だから頑張る、頑張らねば!」「あと少し集中力を持続したい!!」「ここにもうひとこだわりを!!!」という自分へのプレッシャーは、むしろ自分を成長させる糧になります。

「プレッシャー」というのは決してネガティブなものじゃなくて、それをどうやってポジティブに使うか?が大事なんです。

それでも僕は「モノづくり」にいるから「頑張りたい」と思ってます

最期に行き着くのは僕はWebディレクターとして「モノづくり」に自分が携わっているから、というのが大きいです。

僕は自分が「Webディレクターとして特に秀でた人間ではない」ということはもっと才能のある人を見たり、友人としてお付き合いをさせてもらう中から痛いほど実感しています。

それでも今Webディレクターとして「Webサイトを作る」ことを仕事にしていて、お客さんから少なからず「作ってくれて、ここまで考えてくれてありがとう」と言ってもらえたりしているわけです。

だとしたら、その言葉は素直に受け取りつつも、お客さまの為に、次があればその時はWebディレクターとしてもっと良いモノを、もっと早く作れる自分になりたいと思っています。

それがきっと「モノづくり」に携わった宿命のなのだと思います。

その一つの指標というか目指す方向が、垣間見ることができた「100点の世界」。

その世界を知ったが故の苦しみは物凄いですが、色々と僕がさせてもらっている「仕事」が楽しくて大好きなので、少しでも上を目指す自分でありたいな、と思っています。


名村晋治のプロフィール

Webディレクター 名村晋治

株式会社サービシンク

代表取締役 / テクニカルディレクター

名村晋治

1996年よりWeb制作に携わり、キャリア28年目のWebディレクター

2010年に不動産業界特化のWeb制作会社「サービシンク」を設立して、今も現場でディレクターとしてPMをしています。

詳しいプロフィール

大学在学中の1996年「Web制作集団ネイムヴィレッジ」を設立し100社を超えるサイト制作の企画、ディレクション、デザイン、マークアップ、システム開発に携わる。

2000年不動産検索サイトHOME'Sを運営している株式会社LIFULL(旧:ネクスト)に合流。
2005年からは都内のWeb制作会社に合流し取締役を歴任。同社ではフロント実装からディレクションまでを担当。

2010年東京のWeb制作会社・ホームページ制作会社、株式会社サービシンクを立ち上げる。 不動産業界に特化したサイト制作の、アートディレクション~HTML実装設計~システム設計のすべてに携わるジェネラリスト。基軸としてはクライアントの商売に寄り添う為に、徹底的に思考を巡らせる為のディレクションを行う。

Webブランディングの入門教科書」、「変革期のウェブ」を「マイナビ出版」から出版。

2000年から「Webディレクター育成講座」を独自開催し、40時間のカリキュラムを通し「仕事を回す事ができる」Webディレクター育成手法には定評があり。
首都圏のみならず地方でも講座実施、参加者は延べ700人を超える。 もう一つのキャリアとしてプロとして舞台俳優、声優。 1996年から養成所に通い始め2004年に廃業するまでの間はWebディレクターと二足のわらじでの活動。

俳優としては、東京の小劇場でシェイクスピアやマリヴォーといった古典を中心に舞台に出演、また声優としては大きく活躍できる程ではありませんでしたが、NHK海外ドラマや、洋画等、ゲームでの声優を行っていました。

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